天草キリシタン遺跡探しの旅 平成20年1月1日〜6日


右:堀田善久氏 左:岡田静代
20年1月1日訪問。少年遣欧使節団が持ち帰った印刷機で印刷された平家物語の現代語訳(堀田氏訳)と、熊日で連載された氏の経歴書を戴いた。四方山のお話しをお伺いした。今88才で本渡史の編集で忙しいと話された。

「ペー」が墓
堀田善久氏は、五和町御領には、千基のキリシタン墓がある中で唯一名前が残っている「ペー」が墓は、パードレ(宣教師)が訛ってペーになったと解釈して、1570年10月、志岐で死亡したコスメ・デ・トーレスの墓ではないかと推察されている。志岐に於いて盛大に、トーレスの葬儀が行われた。2010年には生誕500年を迎える。

ルイス・デ・アルメイダ上陸地跡
高瀬に最初に訪れた南蛮人がアルメイダである。彼は天草鎮尚の招聘を受け、天草の布教に勤めた後、1583年10月天草、河内浦で没した。
南蛮人像
南蛮船が寄港した南島原市口之津町に、街興しの為、静雲会の平賢祐氏が中心になって建造されたポルトガル人像である。
富岡吉利支丹供養碑
島柄の乱で滅亡したキリシタン3333頚を埋却した地に、代官鈴木重成公が供養の碑を建立した。富岡キリシタン千人塚とも云う。

富岡城
島原の乱の時、一揆勢が猛攻したが、遂に落城しなかった。今は富岡城ビジター・センターとして綺麗に建てられている。頼三陽、勝海舟、鈴木重成等の像が建っている。
 
原城跡
今では、天草四郎や3万7千人のキリシタンと、10数万人の幕府軍がどこでどんなに戦ったか分からないくらい平和で穏やかな佇まいである。

牛深大橋
見事な橋の景観に圧倒された。
 
大江教会
「パーテルさん」と五足の靴で全国に知られる。今、長崎の教会と共に世界遺産に登録されようとしている。
コレジョ跡
コレジョ跡を訪問した時、成人式を終えた若人たちが、碑の後の6年前に廃校になった中学校2年の時に埋めたタイムカプセルを掘り上げていた。爽やかな光景であった。河浦町の玉木真利子さん達であった。

天草コレジョ館
館長宮下憲一氏から色々お話しをお伺いし、係長丸山淳氏に館内のグーテンベルグ印刷機や南蛮船を説明して戴いた。キリシタン遺跡の場所などご教示戴いた。
 
天草四郎乗船之地
五和町から苓北町に向かう道路にあるが、四郎が原城に向かう時、乗船した所であると云う。

崎津教会
二科展に崎津教会の絵を初めて出品した。その後10年間かけて147ヶ所の教会を訪問、「長崎と天草の教会を世界遺産に」のホームページを開設した。
 
志岐城跡
志岐麟泉は、1569年、アルメイダを招聘して天草の布教に当たらせた。志岐城は85Mの標高の地に志岐麟泉神社として眺めの良い所である。綺麗に富岡城が見える。

ルイス・デ・アルメイダ記念碑
今、再建のため一時閉鎖している、天草キリシタン館の敷地の中に、キリシタン墓地に隣接してアルメイダ記念碑がある。
 
大分市アルメイダ記念碑
西洋医術発症記念像(大分県大分市)。中央がルイス・デ・アルメイダ。

左・中:信栄商会 大津文子氏夫妻 右: 岡田静代
マルショク本渡店で久しぶりにお会いした。マルショク玉名店の時代に懇意にして戴いた。
   



 
「生誕500年」高瀬にやって来たスペイン人コスメ・デ・トーレスの記念碑を造ろう