コスメ・デ・トーレス(1510〜1570)
ヴァレンシア生まれスペイン人、司祭、1548イエズス会入会。ザビエル、フェルナンデスと共に1549年鹿児島来航。ザビエル離日後第二代日本布教長となり、キリシタン時代の基礎を築いた。1563^1564年迄高瀬に滞在。1570年志岐にて没す。
2010年生誕500年を迎える。

ファン・フェルナンデス(?〜1567)
コルドヴァ生まれスペイン人、修道師、1545年イエズス会入会、トーレスと共に、我が国最初の宣教師として、鹿児島に渡来、ザビエル出国後はトーレスに随行し1562年共に高瀬を通過した。1567年平戸に没す。

ドゥアル・デ・シルヴァ(?〜1564)
ポルトガル人、修道師、インドでイエズス会入会、1552年来航、63年布教の為、川尻に行く。病を得て高瀬に帰り、トーレス、アルメイダに看取られながら没す。我が国最初の宣教師の死亡である。日本語の文法書を作り、日本大辞典の基礎になった。

ルイス・フロイス(1532〜1597)
リスボン生まれ、ポルトガル人、司祭、1548年イエズス会入会、1564年横瀬浦に来航した。1564年平戸から上京の途中、アルメイダと共に高瀬に立ち寄っている。
優れた歴史家として知られ「日本史」「日本年報」を執筆し将軍足利義輝とも面接し、織田信長の面前で日乗上人と行った、宗教論争の事はよく知られている。

ルイス・アルメイダ(1525〜1583)
ポルトガル人、貴族の生まれ、商人として又外科医として日本に度々渡来、1555年」トーレス神父によってイエズス会に入会、高瀬を訪れた最初の宣教師である。府内(大分市)に総合病院を建て、日本初めての西洋式医療を施す。その功績で、今、アルメイダ病院がある。

パプチスタ(?〜1587)
フェララ生まれ、イタリア人。1569年11月パプチスタ神父はアルメイダ修道師と共に、トーレス神父の命で口ノ津を発って高瀬経由豊後に行っている。九州各地で布教に勤め1587年9月平戸で没している。

カブラル(1533〜1609)
サンミゲル島生まれ、ポルトガル人、1570年志岐に来航。1570年トーレスに変わって、第三代布教長になったカブラルは、二度上京している。二度目の上京の時 口ノ津を出発・島原・高瀬・府内を経て上京している。1582年頃の記事に、大友宗麟の娘で清田鑑忠夫人のジュスタが、260余名と共に高瀬において、洗礼を受けたとカブラルが報じている。



 
「生誕500年」高瀬にやって来たスペイン人コスメ・デ・トーレスの記念碑を造ろう