話し/岡田正二
まちかど教養講座【高瀬夜噺】/日時:2008年1月25日 19:00〜 /熊本県玉名市「高瀬蔵イベントホール」にて

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長崎開港記念碑
 しかし面白いのは、2年半しか日本に在住しなかったザビエルが、日本の教科書に載り、又各地のキリスト教関係地において、華々しく顕彰されて居るのと比べると、トーレスの処遇は実に哀れの一言に尽きます。トーレスの功績を顕彰している所は、只一ヶ所、長崎市役所の横に在る、長崎開港記念碑がありますが、人目に付かない、ややこしい所にありまして、近くの人に聞いても知らないと云っております。トーレスは長崎の港を開いた一番の功労者なのですが、此の他には何ら顕彰碑は建って居りません。

 お話申し上げた他に、記録に残っているだけで、お渡ししております資料に記載されている様に、沢山の宣教師、いうならば南蛮人が、高瀬に来ております。

 トーレスが死んで10年目の1582年、織田信長が本能寺に於いて没しています。

それから、6年後の1588年スペイン艦隊アルマダがイギリス艦隊に敗れて、大航海時代の終焉を迎えます。
 


トーレス生誕500年 高瀬宣教師渡来記念碑
ここで皆様にお話が御座います。
 実は、只今お話致し申し上げました、コスメ・デ・トーレスが、再来年の2010年に生誕500年を迎えます。加えまして、高瀬にやって来た沢山の西洋人(宣教師)を記念して、記念碑を建てるならばと思っているところでございます。

  お渡ししている資料に記念碑の構想を書いておりますが、記念碑を建立する場所は未だ決まって居りません。関係当局にご相談を申し上げて、早く決めたいと存じております。
 


高瀬船着場
 江戸時代を通じても、高瀬は肥後米の積み出し港になるなど、水上交通の要衝としての繁栄を続け、その遺構(俵転がし、眼鏡橋等)や歴史的町並みは、現在も玉名市高瀬の随所に残っています。また最近では、こうした川沿いの景観や、歴史的町並みを、観光や街つくりに生かそうという官民の動きも盛んになっております。

 こうした高瀬の一角に、世界史的な「大航海時代」との関わりを伝える、記念碑が建立されましたならば、歴史的景観の持つ価値をいつそう増し加えるものと確信します。

又、過去の歴史的交流の足跡を記すことで、今日また将来にわたる、ポルトガル、スペイン、イタリアといつた諸国との、地域発の国際交流にも貢献することでしよう。

 近く、記念碑建立の会も出来ると思います。その節は何分共宜しくご協力賜りますよう、お願い申し上げる次第で御座います。


*ご静聴有難う御座いました。厚くお礼申し上げます。
 

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「生誕500年」高瀬にやって来たスペイン人コスメ・デ・トーレスの記念碑を造ろう