話し/岡田正二
まちかど教養講座【高瀬夜噺】/日時:2008年1月25日 19:00〜 /熊本県玉名市「高瀬蔵イベントホール」にて

※ご挨拶
私は岡田正二と申します。
私は大正12年此の町で生まれて、今年84才になります。
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村上晶子氏映像 熊本大学日本史科卒 玉名市編纂事業10年博物館勤務
 私が今日お話したいと思っているのは、平成17年に熊本スペイン協会が、玉名のキリシタン遺跡を探訪する旅に、ご一諸したのが始まりで御座いました。
  玉名博物館こころピアの村上晶子さんの懇切なお話の中に、大航海時代、高瀬に沢山の宣教師が、いうなれば沢山の西洋人(南蛮人)が、訪れていた事実を始めて知りました。
 村上さんのお話が、宣教師について、実に詳しいので、お伺いしたところ、大航海時代、当時、日本に来ていた、宣教師が自分の身辺や地域の事情を詳しく、ヴァチカンに報告していたのが今、完全な形でヴァチカンに残っている、との事で、私は見事であると深く感銘を受けました。その時、関心を引いたのが、日本で最初に死亡した宣教師が、実は高瀬で死亡していたと云う事実が分りした。
 

長崎と天草の教会を世界遺産に
  実は、私もキリシタンについては、少しは勉強しているつもりです。と云うのは、私はそれまで、二科展に出品を続けて、15回入選を果たしておりますが、67才から77才までの、10年間かけて、147ヶ所ある、「長崎と天草の教会」を訪問し、水彩画と、油絵で描いて、解説を入れて、「長崎と天草の教会を世界遺産に」のホームページを開設をしました
 又熊本市と、長崎市の浜屋デパートで3回個展を開きました。
 

長崎の教会を世界遺産に 事務局長講演会
 又「長崎の教会を世界遺産にする会」の事務局長の柿森和年さんを熊本にお招きして講演会を開いたりしていました。言うならばキリシタンとは、深いきずながあつた訳です。
 実は、今日はご覧頂きますように、長崎と天草の教会の絵を飾って居ります。ご覧いただければ幸いで御座います。
 

高瀬は有明海の港でした
 古くから菊池川の水上交通の要衝でありました、玉名市高瀬は、鎌倉末期〜室町時代(14〜16世紀)には、その交易の範囲をアジア各地に広げました。マラツカ、マカオ等に拠点を築いておりました、ヨーロッパ人が、高瀬を訪れる背景の一つは此処にあつたといえます。加えて、戦国時代、肥後で国衆が争う中、高瀬は豊後の大友氏の支配下に入って、町衆による一種の自治体制を維持し、大友氏の肥後における重要な拠点になりました。
 九州の布教を進めるイエズス会にとつて、高瀬はキリシタン大名の大友宗麟の支配する豊後と、大村、有馬の両キリシタン大名を擁し、平戸など海外貿易港を持っている、西九州との間を、往来・連絡する拠点であり、多くの宣教師が訪れ、滞在しました。
 

キリシタン九州地図
今、映像でお見せしております、キリシタン九州地図の中で「大分」の方に、大友義鎮と云う人、これはご存知とは思いますが、大友宗麟の事で、九州のキリシタン大名の中で有名な人で、此処の大分、其の頃は、「府内」と呼んでおりましたが、其処から西九州の有馬、大村氏などのキリシタン大名と往来する中で、しゃんむり通らなければならなかつたのが、高瀬であります。
*大友宗麟が、国崩しの大砲を、丹生島で島津軍との戦争で使う。実物は、九段の靖国神社に残り、レプリカは、玉名博物館にて、展示している。
*大砲は、記録では高瀬津に陸揚げ(伊倉津に、ポルトガル船により、陸揚げされ「へふり坂」を上ったと、言い伝えがある)。

 南蛮人と云うと、今の人達は奇異に感じるかもしれませんが、日本で言うと戦国時代、西欧風に言うと、ヨーロッパを中心とした、大航海時代、沢山の西洋人が日本にやって来て、日本に、西欧文化を伝えました。それが南蛮文化として日本でもてはやされました。例えば鉄砲や、言葉、キリシタンや色々の食べ物など日本人は始めて見、聞きする西洋人や南蛮文化に、酔い痴れました。そんな文化を日本に伝えた西洋人、ポルトガル人、スペイン人、イタリア人、等の人々を其の頃から日本人は南蛮人と呼ぶようになったのです。

 日本に最初にやって来た南蛮人が、1543年天文17年、種子島に漂着したポルトガル人で、鉄砲が伝えられました。
 次に来たのが、ご存知のポルトガル人宣教師フランシスコ・ザビエル一行の鹿児島上陸で、その時一諸に随行して来たのが、後に高瀬にやって来たスペイン人宣教師、コスメ・デ・トーレスでありまして、鹿児島からキリシタンの布教が始まります。
 高瀬は、其の頃は、大分の大友宗麟の支配下にありまして、大友宗麟は、ザビエルを呼び寄せて、大分(府内)領内での布教を許します。
 ザビエルは2年半で日本を去りますが、トーレスは其の後、2代目の日本布教長になり21年間日本に滞在して、天草の志岐で死亡をするまで、日本人のキリシタン信仰の、基礎を築きます。
 

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「生誕500年」高瀬にやって来たスペイン人コスメ・デ・トーレスの記念碑を造ろう